父親が死亡した

令和5年7月22日6時半頃、心臓が止まった。
21日
ケアプラザからデイサービスの予定があったが扉が閉まっていて、電話しても出ないと連絡。
警察と消防に連絡してもらい、中に入ったところ仰向けに倒れていて救急搬送。
救急車が出発する直前に着いたので同乗して汐田総合病院に行く。発見時、部屋がかなり暑くなっていて、体温は40℃、脱糞していた。
重症の熱中症で体温がとても高いため身体を冷やし、体温を下げる点滴もしたがなかなか下がらない。
救急の担当医からは「高齢なのでかなり危険な状態、延命治療を積極的に行うか」と確認される。姉と相談し命だけが助かっても、生活は相当制限されるだろうから、最低限にしてもらう。万一のことを考えて姉にも来てもらう。その後入院して個室に、血圧がとても低いため上げる点滴をする事に。医師は80から100は必要と言っていた
血圧70前後、心拍数120から130とマラソンしているような状態で、酸素の吸入を最大にしていても息が荒い。
うまく喋れないが意識はあり、手を握ったり、「頑張れ」と話しかける。夕方になって血圧が80から100前後まで上がるが不安定、その後85くらいで安定、呼吸もやや楽になってきた。血尿があり医師からは尿路感染があると伝えられ、血液を取って培養検査して発熱の原因を特定するそうだ。
夜になって本人も楽になってきたのか、暑い寒いや尿を出す管が気になる、足が痒いなどで、身体を動かしたりたり顔をしかめたりするも、上手く喋ることができない。
その度に看護師に連絡する。特に足を動かしたくて力を入れる、手で布団を動かすなどすると心拍数が急に上がるため「気にしない」「少しだけ我慢」などと話しかけたり足を擦ったりする。夜中になり血圧が下がってきて薬を増やしたり、ベットの足側を上げたりして血圧を上げるが80を切ってくる。酸素飽和度も85くらいになっている。
朝5時くらいには血圧が65くらいになってきて、看護師から、「手首で脈が取れなかなったので、そろそろかもしれない」と言われ姉にも連絡する。呼吸はしているが意識はなく目をつぶって寝ているように見えた。心拍数も血圧も少しづつ値が小さくなり、6時15分ころ呼吸がなくなり、数分で心臓が止まった。
看護師から医師による死亡確認は姉が来てからにするかと言われたが、姉と相談しやってもらう。医師が胸に聴診器をあてて、目にライトをあてて、死亡が確認された。
その後身体をきれいにして、真新しい浴衣に着替えさせてもらい霊安室に移動した。